2003-11-05 [J]
■ 東京都有害図書規制の強化について。
東京都の委員に意見を送ろうかとちょこっと考察。……というか、考えがまとまってないのでメモみたいなもの。
東京都がカジノ特区成立を目指しているように、時代は規制緩和の方向に流れていますが、健全育成条例の改正で不健全図書指定の拡大や、書店への立ち入り権限強化等は、この流れに逆行するものであり、問題があります。
また、出版社の9割が東京都に集中しており、出版物の規制の強化に関する議論は、他の都道府県より遥かに慎重に行う必要があり、一度規制されてしまうと、その規制に問題があったとしても撤廃する事が非常に困難であるため、なおさらその議論は慎重に行うべきです。
現在の「有害図書指定」によって、廃刊に追い込まれた雑誌の多さや、コンビニエンスストア等で買えなくなっている書籍、雑誌の多さを考えると、規制の効力は十分以上発揮されており、これ以上の規制は全く必要がありません。
また、現在の指定のやり方も、指定を受けた後、改善の努力をしているにも拘らず、連続指定等によって廃刊に追い込まれてしまう雑誌がある等、既に行き過ぎのレベルに達しており、これについては言論・表現の自由の観点から、規制緩和の方向で議論を進める必要があると思われます。
2003-11-07 [J]
■ 追加の意見。
追加の意見です。もう少し考えがまとまってきたら東京都の委員に意見を送ろうと思います。
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近年、漫画や雑誌などの売り上げが落ち込んでいっているにも拘らず、少年犯罪の人口比は増加傾向にあり、犯罪と特定図書類の販売状況に因果関係がありません。また、警視庁生活安全部長の渡邉晃氏も、11月4日の青少年育成問題協議会において、「それが原因で直接犯罪を敢行したという数字はでていない」「性情報の氾濫と青少年の性犯罪の増加について因果関係を学術的に証明したケースはない」と答弁しています。
このように、学術的根拠が乏しいにも拘らず、特定の職業に大きな経済的打撃を与えてしまう規制を施行する事は、公平性の観点からも大きな問題がある事を指摘いたします。
この問題は、都民のみならず国民全体にとって極めて重要な問題ですので、「先ず規制ありき」で早急な議論をしてしまうのではなく、問題の大きさに応じた十分な審議時間を取る事を強く望みます。また、都民にとって開かれた会合となるよう、十分な傍聴席を確保して頂けるよう要望致します。
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あと、青少年の犯罪より中高年の犯罪が増加している事を指摘したり、経済の減退と犯罪の増加の関連や、経済が減退しても福祉や人権教育が行き届いた国は犯罪率が低いという事を指摘したり……と、からめ手で行くのも良いかもしれません。
いずれにしても、様々な角度から、多くの反対意見を届ける事が重要だと思います。また、その際には、「この問題は、極めて重要な案件なので、十分な審議時間を取って下さい」と、「必ず」付け加える事が必要かと思われます。
みなさんもガスガスと意見を送りましょう。
2003-11-08 [J]
■ 取り合えず
東京都健全育成条例改正について、
第25期東京都青少年問題協議会委員(議会関係者)の、何人かの方
に、個人として意見を送りました。
あと、皆さんの意見の足しとする為に、思いつきではありますが東京都健全育成条例改正の要点(有害図書規制部分のみ)を、さっくりと並べてみますです。
・規制緩和が時代の潮流であり、規制強化は時代に逆行している。
・出版社の9割が集中する東京都による図書規制は、事実上日本全体の規制となる。
・規制を強化しなければならないという理論は、学術的根拠に乏しい。
・規制強化は特定の業種に甚大な影響を与える為、学術的な根拠が乏しい状態での規制は公平性に欠ける。
・現在の規制でも、多くの雑誌や書籍がコンビニで買えなくくなったり廃刊に追い込まれている。
・有害か否かを量的に判断する包括指定制度は、有害でないものさえ機械的に有害としてしまう恐れがある。
・緊急指定制度は、答申を経ない為、担当職員の主観による恣意的な判断となってしまう。
・過度のゾーニングは、日本特有のコンテンツ産業の未来にとってマイナスである。
・健全育成に有効なのは、メディアリテラシー教育である。
・過度のゾーニングは、青少年に対する過干渉であり、むしろ青少年の自立を妨げる。
・都民のみならず国民全体にとって、非常に重大な問題なので、審議は「先ず規制ありき」ではない、慎重かつ開かれた審議とする必要がある。
と言う訳で、皆さんも意見を送ってくださいませませ。
2003-11-09 [J]
■ 検挙数の補正は妥当か?
2000年9月9日、日本経済新聞朝刊に掲載されたとされる、東京都立大の前田雅英教授による記事に関してですが、前田雅英教授は自己の理論の中で、「刑法犯検挙率の低下」を理由に「検挙率が下がらなかったらこうなるはず」として、検挙数の底上げをする統計値の「補正」行為を行っています。
既に多くの人が指摘している事ですが、このような恣意的に補正されたデータを基礎として理論構築する行為は、学者として非難されてしかるべきであると考えます。
そもそも検挙率は、当概年の検挙件数(当概年以前の認知事件の検挙も含む)を、当概年の認知件数で割ったものを百分率で表したもので、認知件数の増減によって大きく変化する物です。
例えば、昔は地域共同体が密に作用していましたが、その頃は、若者のチョットしたいざこざや酔っ払いのケンカなどは、かなりの割合で地域の共同体が自体を収拾しており、警察の手を煩わせる必要がありませんでした。
また「警察沙汰にする」行為そのものが、「大人気ない」とか、「人情味が無い」と、非難される対象ですらありました。さらに、人々の意識の変化などにより、過去には黙認されていた行為(例えばいじめ、校内暴力など)が「犯罪」として認知されるようになって来ました。
これを統計に反映させ、昔の犯罪の検挙数の「補正」を行うと、昔の少年はより多くの、犯罪を犯していたという事になってしまいます。
また、警察改革が進み、これまでは「ノルマとして検挙率を上げるため」に、受理してこなかった住民の訴えを、きちんと受理する様になってきた(警察改革が進んでいないなら、この限りではありません)という事も考えられます。
では、これも反映させ、昔の犯罪の検挙数の「補正」を行うとしましょう。他にも、様々な「補正要因」があるかもしれません。
この様に、一次データに対しての「補正要因」はそれこそ星の数ほど在り、いくらでも「好みの補正」が可能です。このような行為は、「可能性を探る手段」としては有効かもしれませんが、「信頼に値する」ものではありません。
前田雅英教授が行ったように、統計による一次データを、自らの論に沿うよう補正したうえで、その補正されたデータに基づいて基礎理論を構築しても、なんら正当性を持たないを事は言うまでもありません。
【参考リンク】
2003-11-22 [J]
■ 1本消化
これからさらにスケジュールが厳しくなる事が予想されるので、近所で『キル・ビル』を見てきました。
……激しくイカれたC級スプラッタアクション(似非JAPAN風味)という感じでしょうか(苦笑)。暴力表現がいろんな意味で激しいので、そのアタリが苦手な人は回避しましょう。
自分も本来血が苦手なんで著しく体力を消耗しましたが、個人的には非常〜〜に楽しかったです。